1.リベラルアーツの根幹
古くから米欧の教育基盤となっているリベラルアーツですが、日本語では「教養」と訳されてしまい、幅広い知識を身につけることを目的にしているかのように誤解されているように感じています。(※そもそもの認知度も非常に低いのですが…。)
リベラルアーツが本来目指しているものは「疑う力」「問う力」だと私は解釈しています。
幅広い知識や専門的な技術は、鋭く本質的な問いを立てるための支えであり、解決策を見出すためのいわば道具のようなものなのです。
どんなに博識でロジカルであったとしても、目的や状況に合わせて持てる知識・技術を『自由自在に使いこなす術(すべ)』がなくては何にもならないのです。
今回は説明が抽象的になり過ぎないよう、身近な事例や有名なエピソードなどを交えながらリベラルアーツについて語りたいと思います。
このコラムによって、今の日本にこそリベラルアーツ教育が必要・最適であることが少しでも伝われば幸いです。
2.自由になるとは
さて、リベラルアーツの根幹には「疑う力・問う力」があるとして、リベラルアーツの目的を整理してみます。
『リベラルアーツは、人生の可能性を広げ、自由に生きるための力を身につける学問である。』
- 「リベラル(liberal)」= 精神的に自由であること、制約から自由になること、解放すること
- 「アーツ(arts)」= 術(すべ)、技術、学問
ここでまず注目して欲しいのは「自由」という言葉です。
この自由という言葉には
- 意のままに(使いこなす)
- 強制、支配、制約に縛られず(使いこなす)
という、二つの意味が込められていますが、歴史的な背景をたどると後者の意味合いが強いと感じます。
少し硬い話にはなりますが、リベラルアーツが生まれた古代ギリシャ・ローマ時代(紀元前)には奴隷制や社会階級がはっきりと存在しており、その枠を飛び越え自由に生きるためには学問が必要であった訳です。
翻って、現在の私たちは(古代と比較すると)一見何不自由なく暮らしているように思いますが、「常識、慣例、固定観念、既成概念、世間体、プライド、価値観…etc」様々なものに縛られて生きているのです。
学校の勉強によって高度な知識・技術を得ようとも、「これらの制約」が自由な思考・発想・行動を阻害してしまうことが多いのです。
誤解を恐れずに言うと、我々日本人は管理・束縛されて力を発揮するタイプの民族です。(国力・労働力のため)疑いなく敷かれたレールに乗り、思い切り走ることが得意になるよう教育が制度化されてきたのです。
これらの制約から解放され自由になるための力(考え方、知識、技術)を身につけよう!という学問(教育)が現代のリベラルアーツなのです。
3.テクノロジーとリベラルアーツの融合
さて、少し硬い話が続きましたので、ここからは身近な事例を通してリベラルアーツを感じて頂きたいと思います。
革新的で革命的な製品であるiPod・iPhone・iPadの生みの親であるスティーブ・ジョブズ氏(Apple社)は、連続的にイノベーションを起こすことができる理由について以下のように語っています。
iPadのような製品をアップルが作れるのは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点に立ちたいといつも考えているからだ。
※スティーブ・ジョブズII より引用
アップルのDNAには、技術だけでは不十分だと刻まれている。我々の心を震わせるような成果をもたらすのは、人間性と結びついた技術だと、我々は信じている。
※スティーブ・ジョブズII より引用
「スマートフォン」を世界に普及させる立役者となった「iPhone」ですが、意外にも元となる技術、製品やサービスの多くは「既にあったもの」なのです。
例えば、1999年にdocomoがリリースした世界初の携帯電話IP接続サービス「i-mode」は大いに研究し模倣したと後にジョブズは語っています。
つまりは、「競合他社や先行企業がiPhone/iPadのような革新的な製品やサービスを生み出せないのは、テクノロジーと人間性が融合していないからである。それは『リベラルアーツ』が欠けているからである。」と読み取れます。
アップルでは、「人間とは何であるのか、社会とは何であるのか、生きるとは何であるのか」というようにリベラルアーツの視点で問いを立て、自社の製品/サービスの在り方を定義(デザイン)します。
過去や業界の常識から自由になれたからこそ、革新的・革命的なiPhone/iPadを生み出すことができたのでしょう。
4.知識や技術を自由に操るとは
知識や技術を自由に操るとは具体的にどういうことなのかについて、書籍スティーブ・ジョブズIIより、開発の秘話を引用・紹介します。
【ジョブズ本人がデザイナーのアイブについて語る】
ジョニーは、アップルだけでなく、世界を大きく変えたんだ。いろいろな意味で嫌になるほど頭が良い男でね。事業のコンセプトやマーケティングのコンセプトまで理解してしまう。何でもさっとわかってしまうんだ。僕らが本当のところなにをしているのか、一番よくわかっているのは彼だ。アップルでひとりだけ精神的なパートナーをあげろと言われたら、ジョニーしかいないね。 ほとんどの製品はジョニーと、僕がふたりで考えた後、他の人を連れてきて、「どうだい?どう思う?」と聞いたんだ。どの製品も、彼は、ごくごく小さな部分から全体まで把握している。アップルが製品の会社であることもわかっている。単なるデザイナーじゃないんだ。だから僕の直轄で仕事をしてきた。アップルで彼以上に事業経営の力があるのは僕だけだ。彼にああしろこうしろと干渉できる人はいない。僕がそうしたからね。
→人が製品のどの部分に対してどのように感じるのか、機能ではなく何を提供したいのか、どうあるべきなのか…etc、そういった感性や哲学を持って”自由に”仕事ができるスーパーデザイナーだということですね。
【アイブが自身の哲学について語る】
シンプルなものが良いと、なぜ感じるのでしょうか? 我々は、物理的なモノに対し、それが自分の支配下にあると感じる必要があるからです。複雑さを整理し、秩序をもたらせば、人を尊重する製品にできます。シンプルさと言うのは、見た目だけの問題では無いのです。ミニマリズムでもなければ、ごちゃごちゃしていないということでもありません。複雑さの深層まで掘り進める必要があります。本当にシンプルなものを作るためには、本当に深いところまで掘り下げなければならないのです。例えば、ネジをなくそうと考えたのでは、えらく入り組んで複雑な製品ができてしまうかもしれません もっと深い部分でシンプルさを実現すべきなのです。対象のあらゆる面を理解する、それがどう作られるものかも理解する。つまり、製品の本質を深く理解しなければ、不可欠ではない部分を削ることはできません。
→教科書に答えがある類のものではなく、人とは何であるかについて、自分で問い立てて掘り下げ、あり方を自らデザインする力ですね。
【iMacの開発においてアイブが語る】
あの頃、普通の人にとって、テクノロジーはちょっと怖いものでした。怖いと思えば、触ろうとしないのが当たり前です。例えば、うちの母など、怖がって触らないでしょう。それならハンドルをつけたらどうだろうかーーーそう思ったわけです。ただ、埋め込む形のハンドルはお金がかかります。あの少し前のアップルなら、私の意見は通らなかったでしょう。でもスティーブは見るなり「クールだね!」と言ってくれました。 なぜそうしたのか説明もしていないのに、彼は直感的に了解していました。これがスティーブの凄いところです。iMacの親しみやすさや遊び心を構成する要素だとすっと理解できてしまうのです。
→ものごとを多面的に捉える経験を蓄積することで、構成要素と結果の関係を瞬時に繋げられる力ですね。(深める・繋げる・広げる)
【iTunesストアの開発においてジョブズが語る】
僕はピクサーでこの断絶に気づいた。テクノロジーの会社は、創造性を理解できない。ミュージックレーベルで新人を発掘する「A&R」と呼ばれる連中は、100人のアーティストから、成功しそうな5人を直感的に選んだりするのだけれど、テクノロジーの会社はそういう直感力を信じないんだ。そして、クリエイティブな人は、1日中ソファーでぼんやりしている怠け者だと思っている。ピクサーのようなところで、そういう人たちがどれほど真剣に働いているのか、見たことがないからだ。逆に、音楽会社は、音楽会社で技術が全くわかっていない。技術の人間なので、その辺で雇ってくればいい位にしか思っていない。でも、それは、音楽のプロデュースをする人間をアップルが雇うようなもの。音楽会社には、二流の技術者しか行かないように、二流のA&Rしかアップルには来てくれない。技術を生み出すには、直感と創造性が必要であることも理解していて、なおかつ、芸術的なものを生み出すには、修練と規律が必要だとわかっている人は、僕以外、そう何もいないと思うよ。
→世の中では藝術には直感と創造性、技術には修練と規律が必要だと思われているが、実のところ、本質はその逆であるという常識を疑える自由な感性ですね。
【iPhone開発におけるジョブズの発言】
ハードウェアキーボードは楽な道に見えるけど、それは大きな制約になる。スクリーン上でキーボードをソフトウェア的に実現した時、どれほどのイノベーションが可能になるかを考えてみろ。これに賭けよう。それでうまくいくように工夫するんだ。
→このように、リベラルアーツによって人間・ライフスタイルや社会構造・変化を深い部分まで徹底的に理解し、テクノロジーを挑戦的に融合させることで大きな違いを生み出していったのですね。
5.さいごに
初代iPhoneが発表された2007年と同じころ、2000年代に米国で始まった教育モデルである「STEM教育」にリベラルアーツが加えられ、『STEAM教育』となりました。
Science(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、Mathematics(数学)は手段であり、目的をデザインするArts(リベラルアーツ)が教育の中心に不可欠だ!となったのではないでしょうか。
時代は流れ、今現在、自動運転やEVなど、自動車とソフトウェア(AI)の融合は既に盛んですが、テスラのように自動車の域に留まらずスマートグリッド(仮想発電所)など、さらに分野を大きく超えたものとなっています。
このような時代の変化を目の当たりにしている中、(確かにIT人材が足りていませんが)プログラミングだけを学ぶことで、将来自由に生きていくこと、活躍することができると想像できますか?
ジョブズの言う「リベラルアーツと◯◯の交差点に立つ。」という意味をもう一度考えてみましょう。
この「◯◯」の部分には、子どもたち(自分)の興味・関心のある分野・対象を入れて考えてみると良いのです。
テクノロジーやITでなくても良いのです。
今後は自然破壊にもつながっている農業や水産業の分野に大きな革命が求められるかもしれません。
人間の生き方と融合し、教育や医療・福祉、はたまた芸術やスポーツの分野が大きく変わるかもしれません。
いずれにしても、「リベラルアーツ」を学んで融合させられる(交差点に立てる)かどうかで、同じ環境・情報・リソースに接したとして、その解釈や行動には明確な違いが出てくるはずです。
精度高く将来をあらかじめ見据え、無駄なく最短距離で学ぶことはできないでしょう。
今、少しでも関心のあることに対して疑問を持つ力を磨き、より深く知る努力を継続する。
興味・関心の種を蒔き、じっくりと育てることで、点と点とが将来どこかで繋がり、交差点に立てるようになるはずです。
「のびてく」ではこのように考えて、日々子どもたちに接し、主体的な学びをサポートしています。
(おわり)
リベラルアーツに関連するコラムやカリキュラムの紹介
過去に書いた、登山用品/アウトドア用品の商品開発と販売を行っているmont-bellさんに関するコラムです。日本のブランドですが、ここにもリベラルアーツを感じます!
唯一無二のfoveonセンサーカメラやレンズで有名なSIGMAさんの「fp」を題材にした探究カリキュラムです。こちらも日本のブランドですが、リベラルアーツを感じます!
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