みなさま、ご無沙汰しております。
前回のコラムから約2年、久しぶりのコラムになってしまいました。
というのも、実は何本も下書きはしていたのですが、書いている最中に書きたい内容が微妙に変化してしまうんです。
執筆の流れ:
日常での気づき→コラムタイトル→日々で検証→下書き→日々で検証→下書き修正→日々で検証→推敲→リリース
そして、日を追うごとに変化の量が「微妙」ではなく「明らか」になっていったんです。
このような感じで、伝えたい内容自体が変化してしまって、うまく書けなかったんです。
コラムは私が実際に肌身で感じていることを元に書いていますので、普通なら執筆中にどんどんまとまって行くものなんです・・。
「何故だろう・・」と、下書きを繰り返しながら自問自答しておりました。
そして、ようやく分かりました。
そうか、今まさに変化の渦中にいるんだと。歴史的な変化の最中なんだと。
その変化のスピードが異常に速いんだと。下書きからズレていく感覚と、辻褄が合いました。納得です。
ようやく、”のびてく”とし、皆さまに書いておくべきテーマがはっきり見えましたので書きます。
テーマは「AI時代の学習法」についてです。
1.子どもたちの変化
AIサービスが身近になり、子どもたちの学び方は確実に変わり始めています。
少し前までは、わからないことがあれば図鑑や書籍で調べ物をする。それでもわからなければWeb検索をして、いくつものページを見比べながら、自分で必要な情報を拾い集め整理していました。
ところが今は、AIに問いかければ、整理した状態で答えが返ってきます。しかも、こちらの細かな意図まで汲み取ろうとしてくれる。さらに、次はこれはどうですか?と関連情報を提示してくれる。これは間違いなく便利な道具です。(※便利すぎる道具、暴走する道具でもあります。)
実際、ここ数年の子どもたちを観ていると、以前よりも幼い年齢から、驚くほど多くの知識に触れている子が増えました。大人が使うような表現や、少し難しい話の流れを読み取れる子も増えてきたように感じます。難しい漢字もスラスラ読めます。これはインターネットやAIの恩恵の一つと言えるでしょう。
一方で、少し気になる変化もあります。
それは、「書くこと」に強い負担や苦手意識を感じる子が増えていることです。
頭の中ではなんとなくわかっている。話せばある程度は言える。けれど、いざ書こうとすると手が止まる。面倒に感じる。うまく言葉にならない。そうすると、ますます書かなくなる。書かないから、ますます書けなくなる。そんな循環が起きているようにも見えます。
これは、ある意味で“成長の非対称性”なのかもしれません。
理解の入口は広がっているのに、それを自分の言葉で整理し、形にする力が追いつかないのです。
この世の中の流れは止まらないでしょう。
では、AI時代の学習法は、これからどのように変わっていくのでしょうか。変えていくべきなのでしょうか。
こういう時は、まず事実を並べて整理してみるのがよいと思います。
- 過去に何が起きたのか。
- 今、何が起きているのか。
- そして、これから何が必要になるのか。
過去・現在・未来をつないで考えてみることです。
2.IT革命で変わったもの
1990年代から、いわゆるIT革命が進みました。
これは単に「コンピューターが普及した」という話ではありません。インターネットによって、情報のあり方そのものが大きく変わったということです。
情報が一部の人に偏っていた時代には、知識を持っていること自体に大きな価値がありました。しかし、インターネットの普及によって、情報そのものには以前ほどの希少性がなくなっていきました。すると、価値の中心は次第に「知識を持つこと」から「知識をどう活用するか」へ移っていきます。
つまり学習においても、ただ覚えるだけでは足りず、得た知識をどうつなげ、どう使い、どう発展させるかが重要になってきたわけです。思考力が大切だと言われるようになったのもこの頃です。
けれど、ここには一つ抜け落ちていた部分があったように思います。
それは、「どのような順序で、何を、どのタイミングで育てるのか」という視点です。
思考力という言葉は、これまで何度も語られてきました。けれど実際には、思考力は一言で片づけられるほど単純なものではありません。問いを持つ力、比較する力、観察する力、整理する力、表現する力、深める力。そうした色々な要素があり、それぞれに順序やタイミングがあります。その大切さは、案外、十分には議論されてこなかったように思います。
”のびてく”では、もう語り尽くされてきたことですが、順序における最初の部分、ここで大切になるのは、感性を育てることであり、別の言い方をすれば、記号接地をしっかり育てることです。
頭の中に知識がたまり、概念として理解できていること自体は、とても素晴らしいことです。しかし、実際の経験がまだ少ない段階では、その理解はどうしても、動画や画像で見た印象、あるいは抽象的なイメージのレベルにとどまりやすくなります。
記号接地(symbol grounding)とは、
言葉や知識が、実際の体験や感覚と結びついている状態のことです。AIの文脈では「記号が現実にどう結びつくか」という問題として語られますが、教育の文脈では、子どもが言葉を“知っている”だけでなく、“感じたこと・見たこと・やってみたこと”と結びつけて理解できているか、という問題です。つまり、知識を“暗記した情報”で終わらせず、“使える理解”に変えていくための土台だと言えます。
本来、現実の世界には、デジタルな情報だけでは取りこぼしてしまう、連続的で、身体感覚を伴った、膨大な情報があります。そうした実感のある経験が土台に入ってはじめて、言葉の意味は深まり、概念は厚みを持ち、テキストの理解やコンセプトづくりにもつながっていきます。逆に、この記号接地の部分が弱いままだと、言葉を手がかりに考えをふくらませたり、新しい関係性に気づいたり、そこから発見へ進んだりすることが難しくなってしまうのです。
AI革命の以前ですら、こういった問題が生じており、それが教育現場では未だに解決されていません。
3.AI革命で変わるもの
では、次のAI革命では何が変わるのでしょうか。
これはかなり大きな変化になるはずです。
たとえば、クリエイティブな領域では、AIを高度に使いこなしながら、新しいものを構想し、形にしていく。そこに人間ならではの「情熱」や「深い洞察」といった付加価値をどう上乗せしていく。このようなコンセプトメイク(問いを立てる力)ができるか、ビジョナリーでいられるか、が重要となっていくでしょう。
実際、何を作りたいのか、何が必要なのか、どこをどう詰めたいのかを、できるだけ具体的に言葉にできれば、これまでなら大企業や専門チームでなければ難しかったことが、個人でも実現できるようになってきました。
これまで分厚くあった「組織の力」の壁を「個人の力」がぶち破る時代に入ってきたということです。反面、それだけ個人の力が試される、評価されるシビアな時代になったとも言えます。
一方で、身体性や対人性、現場感覚が強く求められる領域では、むしろ人間の価値が改めて見直されていくでしょう。人の気持ちを受け止めること、その場の空気を感じ取ること、責任を持って判断すること。そうした部分は、簡単にはAIに置き換えられません。人間にしかできない関わりや判断、実践の価値がより高まる方向にも向かうでしょう。
どちらの方向に進むにしても、共通して必要になるものがあります。
それは、「何をしたいのか」「何が必要なのか」「何を問うべきなのか」を、自分の頭で考え、整理し、言葉にできる力です。
2023年の7月にこういったコラムを書きました。
あれから約3年が経ちました。まさに現実のものとして強く実感できるようになりましたね。
これを”既に起こった未来”と位置付けて、教育を組み立てる必要があるわけです。
4.AI時代の学習で、なぜ“書く力”がますます重要になるのか
AIは非常に優秀です。
しかし、こちらの考えが曖昧なままだと、返ってくるものも曖昧になります。
一見もっともらしい。一見うまくまとまっている。
けれど、どこかに穴がある。何かがずれている。
しかも、その“ずれ”に気づけない。
この状態は実に厄介で、実に危険です。
昔、新入社員の仕事には、どこかに穴があり、上司や先輩がフォローしなければならないことがよくありました。それと同じように、AIが作ったものも、一見きれいに見えて、よく見ると前提が抜けていたり、論理が飛んでいたりします。
しかも、AIはそれを非常に速く、しかも大量に作れてしまう。
だからこそ、「何が足りないのか」「何がずれているのか」を見抜ける力が、これまで以上に重要になります。
このAI時代に成果を出すために必要なのが、「問いを立て言葉で具体的に表現する力」言い換えるならば「書く力」なのです。
ここで言う書く力とは、作文が上手いとか、難しい表現ができるという意味ではありません。
自分の考えを整理し、順序立てて、相手に伝わる形で言葉にする力です。
- 何をしたいのか
- 何が前提なのか
- 何が問題なのか
- どうすればよいのか
こうしたことを言葉で組み立てられる力がないと、AIをうまく使うことも、AIの出した答えを吟味することも難しくなります。
そして、この「書く力」は、単に言語の訓練だけで急に育つものでもありません。
土台には、先ほど述べた記号接地が不可欠なのです。
実際に見たこと、触れたこと、比べたこと、驚いたこと、違和感を覚えたこと。そうした経験があるからこそ、言葉は空疎なラベルではなく、自分の中で意味のあるものになります。意味のある言葉だから、考えを支えられる。考えを支えられるから、書ける。
つまり、書く力を育てるには、知識を増やすだけでは足りず、感性と経験の層を厚くしていく必要があるのです。
AI時代だからこそ、この教育の順序はますます重要になります。
先に情報だけを大量に入れるのではなく、感じること、気づくこと、比べること、言葉にしてみること。そうした流れの中で、はじめて「使える知」が育っていきます。
初等教育、中等教育、高等教育、専門教育と段階は分かれていますが、その時々で重点を置くべきものは違います。知識を広げる時期もあれば、言葉にすることを鍛える時期もある。非認知能力を丁寧に育てる時期もあれば、比較・分析・構造化を強める時期もあるでしょう。
あまり欲張りすぎてもいけません。
先取りしすぎてもいけません。
逆に、必要なタイミングを逃してもいけません。
教育は、ただ「良いものを全部入れればよい」というものではなく、何を、いつ、どの順序で育てるかが非常に大切です。
5.だからこそ、スローラーニングが合ってくる
AIは強力な道具です。
だからこそ、その道具を使う側の土台がますます問われます。
- 気づく力、観る力、感じる力。
- 問いを立てる力。
- 簡単に納得しない姿勢。
- 自分で考え、自分で整理し、自分の言葉で表現する力。
AI時代の学習法とは、単にAIを使う学習法ではありません。
AIがある時代だからこそ、人間の側に何を育てるべきかを見極める学習法なのだと思います。
のびてくでは「自分で感じ考える力、問いを立てる力、言葉で整理する力」を重視しています。
そして、それらを育てるための適切な順序とタイミングを啐啄同時で見極め、指導しています。
のびてくが大切にしてきたスローラーニングの考え方が、ますます意味を持ってくるように思います。(※それを見据えて”のびてく”を立ち上げたので目論みが当たって良かったと安堵しています。)
皆さんも、少し立ち止まって、過去の変化の歴史を振り返りながら、これから先に必要な力を考えてみてはいかがでしょうか。
そうすると、「今、何を育てるべきか」が、少しずつ見えてくると思います。
〜補足〜
AIのび先生も”そのために”開発リリースしたものです。良かったら見てみてください。
開発の裏話はこちらに(ゆるい内容です)
https://note.com/nobiteku/n/n8721b45c885c

