昨今、ギフテッドについて各種メディアで取り上げられることが増えていますが、医学的な視点・学術的な視点・教育的な視点・政治的な視点など、様々な視点が混在しており、誤解や混乱も増えてしまっているようにも感じます。
と言うのも、ギフテッドの見分け方や特徴についての情報は沢山ありますが、どこかの引用元のコピペ的なものであったり、単に個性・才能や生きづらさを誇張しているだけであったり、結局のところ具体的にどのようにサポートし、どのように教育すると良いのか、そしてその理由・考え方について書かれた情報はほとんど見当たりません。(※ギフテッドの定義自体がぼんやりしているので、それも仕方ありませんが。)
いまだにギフテッド児の子育てにおいては「浮きこぼれ(ふきこぼれ)」や「不登校」などで日々お困りの親御様も多いようですので、今回は「教育の視点」で少し踏み込んで書いてみたいと思います。
ギフテッド児童の才能を伸ばす教育のコツ、生き生きと過ごすコツなど、家庭教育や子育ての何かしらの参考になれば幸いです。
※過去に「親の視点(子育て)」でのコラム(ギフテッドと塾と中学受験)を掲載しています。
(注意)
以下の内容は筆者nobiの実体験・指導実績・考察をもとにした個人的な見解です。医学的、学術的なものではありませんのでご了承ください。
【1】ギフテッドは思考回路・学習プロセスが違う
先ずはじっくりと分析的・批判的に考える
一般的な学習過程を考えると、「経験する」「真似る」を繰り返し、頭と身体で覚えるような学習過程になります。時には「やり方」を教り、数多く「やり込んでいく過程」で習得し、徐々に極めていくものだと思います。
ところが、ギフテッドの場合は「概要と要点と条件は何だ?(※要点さえ満たすことができるなら、残りの部分は枝葉でしょ。)」というように、最初の段階でじっくりと分析的・批判的に考えます。この最初の部分に全力を集中させていきます。
また、仮に学習を進める途中で「仮定(条件)」が間違っていると気がついても、思考のロジックや構造自体には誤りがないので、その仮定条件だけを訂正すれば、残りの部分(結果)は自動的に更新されることを活用していきます。(※論理的な思考)
この様に物事を学ぶプロセス(アプローチ)が多数の人とは違っているので、学習の質と効率は相対的に高くなります。だから周囲からは努力せず才能で簡単にやっているように見えるのですが、最終的になるべく簡単になるよう、他にも応用できるように注力(集中)しているだけなのです。
言い換えるならば、「達人が持つ極意(学習のコツ)」に最初から勘づいているようなもので、詰め込み・先取りの英才教育とは違った意味での”早期円熟”です。
実例として、「僕9歳の大学生」「IQ200の『学びの方法』」などで有名なギフテッド矢野祥くん執筆の書籍から、読書についての考え方を紹介します。
読書とは「もう1人の自分」による疑似体験
自分の基準できちんと「読む」ことができれば、そこから得られる世界は無限に広がります。私たちは読書から知識や情報だけを吸収するのではありません。自分では今まで考えたこともなかったような世界を目撃し、また時間と空間を超えた過去や未来の世界へ旅をし、さらに他者の心の中の世界に入り込むことができます。 この時私たちは想像の翼を羽ばたかせ、疑似体験をするのです。つまり本を「読む」と言う事は、自分ではない「もう1人の自分」に、様々な体験をさせることでもあるのです。これが想像する・考えると言うことです。読書によって想像する・考えることが自然になり、結果として、学習能力や社会への適応性、問題解決ができる創造性、他人を思いやる気持ちなどがもたらされるのでしょう。
繰り返しますが、私はいつも、まず本が伝えようとしている全体図、意図、コンセプトを理解しようとして「読み」ます。その上で、理解した大枠(全体図)に、細かな内容を付け足して行きます。それが私の読み方・勉強の仕方と言って良いでしょう。 ですから、小説であれ、科学書、美術書、哲学書であれ、いったん本の表紙を開ければ、それぞれの分野での、それぞれの「考え方」を理解するように心がけます。そしてその考え方に対して、「自分は納得できるか」を問いかけながら読むようにしています。どれほど高名な著者の本でも、自分が納得しなければ、その本を自分のものにしたことにはなりません。著者の考え方全てに同意する必要はありませんが、著者の意図や議論の中身に納得しつつ、どこが自分の意見と違うのかを明確につかんでおくべきです。
読む・書く・考える IQ200の『学びの方法』 矢野祥 より引用
正にこのような感じです。(※抜粋なのに偉そうな書き方になりすみません。)
鵜呑みにして覚えることではなく、考え方を理解し、要点を見抜いて整え、応用を想像することににエネルギーを全投入・全集中しています。(※集中するので結構疲れます。)
リーダーシップ(読解力・洞察力・コミュニケーション能力)
また、読書だけでなく日常の全てにおいて、「目の前の現象そのものではなく、現在・過去・未来と紐づけて考えるので、感情の理解や行間の理解にも長けていることが多く、深いコミュニケーション、発展的な会話をすることが得意です。
リーダーシップを発揮するギフテッドが多いのも、このような理由からだと思います。
※ゴリゴリの体育会系のリーダータイプではなく、心情を汲み取ったり、対立の隠れた条件を見抜いたりすることで信頼感を得てまとめていくユーモアのあるリーダーであることが多い。
『教育のコツ』
- 座学、講義形式の一斉授業は合わない可能性が高い。
- アクティブラーニングで個別課題ベースで進めさせ、分からないところだけサポートするのが良い。
- 経験や理論を伴う記憶には優れているが、単純暗記は好まない。
- 思考は得意だが、自分から情報を収集したり調べたりすることには無頓着なこともあるのでサポートが必要。
- 因果関係やメカニズムが潜むもの、解釈に幅があるもの(豊かさ)などの探究的な学習が良い。
【2】ギフテッドは気分屋で飽きっぽい
先ほどの思考プロセスの内容を読む限りはとても優秀なので、好きなことだけやらせてあげれば放っておいても勝手に育ってくれそうな気がします。
ところが実際はそう甘いものでもありません…。
学習の動機(モチベーション)
ギフテッドの学習の動機は自分自身の知的好奇心を満たすことであり、そこから得られる結果ではありません。(※例えば、算数の問題を解くのが面白いからやっているだけで、褒められたいとか合格したいとかではない。時には得点・偏差値競争をゲーム感覚で楽しむ子もいます。)
まだまだ発展させられることがある、上達できる自信があると感じている時は放っておいてものめり込みやり続けますが、取り組んだ課題のメカニズムや因果関係を理解できたと感じた時点で達成感(満足)があるので、そこで熱量が一気にダウンして惰性モードに入ったり、時にはパタっと終了させてしまう傾向があります。
また、上達の手がかりや糸口が全く想像できず限界を感じた時も、静かにフェードアウトしたり、やめる理由を探したり、察してもらおうとすることもあります。
周囲から見れば飽きっぽく、継続性がないと言われるのはこの為です。
本来ならば、そこから先がまだまだあり、更に深く掘って・広げて・繋げたりすることができるのですが、いくらギフテッドと言えども幼少期にそこに気づけるとは限りません。(※思考力はあるが自立・自律の姿勢が完成している訳では無い。)
案外、表面的な部分で満足し「分かったつもり」になり易い特徴も持っています。
そのタイミングで、大人が次の疑問を投げかけてあげたり、自分の論理を語らせてあげたりすると、また次の疑問がパッと湧き出てきて、再び熱量が上がって学習や行動を再開することが多いのですが、そこを見逃してしまうと次のような現象が起こってきます。
幼少期における継続力、習慣の重要性
その現象とは、好きなことをやらせた場合でも、低いところで満足してしまって「つまんない。」「興味ない。」「もう分かった。」「面倒臭い。」などと言ってしまうこと。
これは往々にして出てくることがあるでしょう。
それを「好奇心の対象ではない」→「やらせる必要はない」と大人が短絡的に判断してしまうと、いつまでたっても打ち込める対象が見つかることはありません。
本来ギフテッドは特定の分野に限らず、どんな対象にでも楽しみを見出すのが上手な特性を持っていますが、そのスイッチを継続するのは案外下手なものです。
スイッチがオフの時はどんどん楽(らく)に流されてしまうので、戻ってくるのか心配になる程です。頭の回転も速く理論的なので、言い訳も非常に得意です。
明らかにワガママ・怠慢だと判断できる場合にはしっかりと厳しく指導してあげる必要があります。
と言うのも、ギフテッドは気遣いよりも筋が通っているかどうかを重視していますので、叱った後に拗ねてしまったり根に持ってしまうようなことは無く、ケロッと晴れやかに切り替わり、それまでより元気になることが多いです。
ワガママになっていたのは、自分でも気がつかないうちに頭の中が混乱していたり、意味なく流されていたりすることが積み重なっていることが原因になっている場合があります。叱られることによって頭の中がクリアになり、その後はすごく吸収し、すごく伸びることが良くあります。(※根底に良好な親子関係・信頼関係がある場合に限る)
将来、好きなことを追求(追究)して生きていくとしても、そこには必ず壁が立ちはだかります。その壁を自分で乗り越える力を習得するには「何かを継続すること」から学ぶしかありません。長くやらないと本当の壁すら出てこないはずです。良い時も悪い時も、色々な時期を経験することが必要です。継続を経験することは、好きな道を探すことと同じくらい大切なことです。
幼少期には何をやらせてたとしても持ち前の好奇心を発揮するはずなので、なるべく複雑で奥深いものや、簡単には達成できないようなことにチャレンジさせ、それをある程度は強制的にでも長く継続させるようなサポートと信念が必要になってきます。
一見遊んでいるようにしか見えないとしても、実は色々と想像しながら類推思考を鍛えていることは良くあります。共通項=つまり本質的なメカニズムを発見、理解し、応用の先を探しているのかもしれません。(※決まった知識や方法をコツコツと暗記していくというような学習ではありませんので。)無駄に思えるような時間からの情報にもヒントやきっかけが沢山潜んでいます。
熱量や目に見える成果には浮き沈みが出てきますが、そこを見るのではなく、ギフテッドの場合は継続させること自体に大きな意味が出てきます。(※継続的に磨かないと光らない、伸びない。)
ハマった時のパワー・持続量は凄まじいものがあるので、継続の先にそういうものに出会えると幸せですね。
『教育のコツ』
- 聞いてあげる。
- 見てあげる。
- 共感してあげる。
- 次の視点を投げかけてあげる。
- 次のレベルのテーマを設定してあげる。
- 一喜一憂せず、目先の成果にとらわれず、とにかく継続させる。
など、達成感で終わらせない環境づくり、工夫が必要。
【3】ギフテッドのアウトプットは時間がかかる
高度化・複雑化・立体的する思考と情報格納
ギフテッドは概念を捉え、因果関係やメカニズムなどを解明する方向に思考するので、結果として頭の中に情報を立体的(多面的)に格納することになります。
また、新たな情報や理論に気づくと、それを取り入れてまたゼロから思考を行うことが好きなので、どんどん高度化・複雑化して行きます。(※複雑なものを解き明かすとちょっとした達成感がある。)
暗記物を平面的に整理(羅列)するだけならば比較的簡単なのですが、複雑な立体物のそれぞれの因果関係を崩すことなく正確に表現することは言語の構造上から不可能に近いものです。
それでもコダワリが強く、「網羅したい!漏らしたくない!美しくまとめたい!」と完璧主義な側面が強いギフテッドは何とか正確に伝えようと頑張ってしまいます。
時にはスタート地点(目的)すら見失ってしまうこともあります。
このように、頭の中や感覚的には分かっているのですが、実際には情報の整理整頓がスムーズにできないことがあります。
幼少期に口頭での説明が分かりづらいのもこのせいです。
同様に、例えば国語試験の記述の点数が悪いからと言って、読解力がない訳ではありません。むしろ、深く読み込めていることもあります。(※問題文の書き方、問い方が良くなくて、そこに引っかかって進まないことは頻繁にあります。)
一時的に「できない」現象を見て、周囲も本人も「苦手」だと決めつけてしまうことが時々起こっていますが、あまりにも高度に完璧にやろうとしているだけな可能性もあります。
少し混乱・渋滞していたとしても、明確に条件(フレーム)を提示してあげるとスルスルと書き出すことができたり、大人になり「表現とは削ぎ落とすこと。」と理解できてくれば、一気に情報の整理やアウトプットが得意になることもあります。
書いたり、まとめたりするスピードよりも、思考スピードの方が圧倒的に速く「面倒だ」と感じてやりたがらない場合がほとんどだと思われますが、「ことば」というものは簡単にマスターできるものではなく、思考そのものであり、今後の学習で最も必要とされるツールでもあります。
幼少期には時間はたっぷり有り余っている訳ですから、ことばに触れ、学び、使えるように取り組んでいくことも大切なことです。
『教育のコツ』
- 定期的、継続的なアウトプットの習慣をつくる。
- 聞き役になり、情報の優劣に関して話させてあげる。
- フレームワークなどでサポートしてあげる。
- 実際に文章として書き出す訓練を継続する。
※なるべく本人にもメリットのあることが理想だが、苦手・面倒でも訓練としてやることが大切。 - ここが一番誤解されがちな部分ですが、幼少期には全ての判断を子どもに任せず、話し合いを持ち、大人が習慣づくりに深く関与することが重要。
※管理的で強制的な側面を含めて。
【4】ギフテッドの生き方・育て方
自立し、自分で自分を認める
長々と書いてきましたが、最後にギフテッドが楽(らく)に生きていくための考え方について、私なりの考えを一つお伝えしたいと思います。
- ギフテッドは肩書きや権威や実績に対して従う様なことはなく、判断の根拠をそこに求めることもありません。
- 倫理観や正義感も人一倍強いので、理不尽なルールに従ったり、長いものに巻かれることも苦手です。
- 矛盾を感じる指示やアドバイスに対しては拒絶感が強く出るでしょう。あくまで中身が大切であり、筋が通っているのかどうかを見ています。
こういった特徴はご理解いただけると思います。
こういった考え方や価値観をもったギフテッドが、「高学歴→大企業→人生の成功」という日本に根強くある常識やレールに乗ろうとしたり、世間の評価(空気)を気にしてしまったりすると、それは確実に息苦しくなってくることが多いでしょう。
それならばいっそのこと、「異才を社会全般に広く認めてもらおうと期待する。」のではなく、「自分で自分の才能を認め、分かる人にだけ分かってもらえば良い。」と切り替えてしまえば良くないでしょうか。
確かにレールを外れるとなると一人でサバイバルしていかなくてはならないので、学力だけでなく、それなりの能力を身につけておかなければなりません。
が、保証はあっても合わない中でストレスを抱えて生きて行くのと、自由だが相当厳しい環境下で自分を信じて頑張るのとではどちらが「楽しい」と思えるでしょうか。
トレードオフの関係だと思います。
自分の道を自分自身の手で選ぶことが大事ですね。
「類は友を呼ぶ」と昔から言われているように、勉強など何かしらのことを突き詰めていけば、そういった人たちと巡り合う可能性は高まってくるはずです。
それが「たまたま」有名大学や大企業である可能性も十分にありますが、それはレールに乗ったのではなく、自分でサバイバルしてたどり着いたものなので、そこから先が全然違ってくるはずです。
そこで、互いに認め合って、互いに尊敬し合って、互いに協力できればきっと幸せだと思います。
補足:ギフテッドの公教育について
このような動きはあるものの、現在では飛び級や自由にクラスを選べるアクティブラーニングなどの充実はありません。
また、学校や先生によっては到底理解に苦しむ指導もあることも事実です。
その一方、ギフテッドは理解が早いから算数、国語、理科、社会は退屈という声をよく聞きます。(※我が家でも経験しています。)
確かに、一斉授業で「はみ出すこと」が一切許されないなら窮屈ですが、かといって国語や理科や社会の科目自体が退屈な訳ではないはずです。
科目は過去の識者の方々が作り上げたものであり、本当よく考え抜かれていて素晴らしいもので、大変価値のあるものです。
授業の形式次第では無意味になってしまうことも多いですが、要は受け手側(生徒)の意識次第でいかようにもなるものです。(※ギフテッドはサポート・指南役は不可欠ではあるが自学自習・独学がベースになるため。)
ギフテッドでも、教科書に出てくる内容をどこまで理解できているかと言えば、知識があっても深く考え、想像し、理解している子は案外少ないように思います。
小学校の教科書をキッカケとして、図書室や図書館で参考書や図鑑や論文や専門書を借りるなど、そこから深めて・広げて・繋げていくことは十分に可能です。
他にも、美術や図工や体育や音楽など、感性を刺激し、想像を膨らませる素晴らしい授業も多くあります。確かに、先生からのフィードバックは不足気味(キャパ的にも仕方ない)ですが、そこは家庭で補ってあげれば良いことです。
小学校には真面目に遊びに(学びに)行けば良いと思います。
先生の評価を気にせず、自由に学べば良いのです。
そうすれば沢山学ぶことができます。
参考:ギフテッドに関する過去のコラム
(↓塾長の想いのコラムでは、日本の学校教育の問題点についても深く考察言及しています。)
プロセスをしっかり踏むこと。それが成長のロジック。【塾長の想い】
【辛口】ギフテッドに最適な学習方法は飛び級や先取りにあらず。
上記コラムの内容を含め、アクティブラーニングや探究学習などについてのご質問、これからの教育や入試制度についてのご相談などがありましたら、お気軽にオンライン無料相談をご利用くださいませ。