作品を作る時、作家さんから最初に言われた事があります。
「作りかけたら最後まで。
途中でやめたらダメ。そういう道ができてしまうから」
と。
それがいつも頭の中にあって、途中で嫌になって投げ出したくなっても、その作品と根気強くつきあうことにしているのですが、この言葉がなかったら、投げ出していたかもしれない、と思います。
何事も苦労せずできてしまえるのであればいいのですが、作品作りって答えがありませんよね。どこにも答えは落ちてなくって、自分でやって自分で試行錯誤するしか自分のものは作れないですもんね。
でも、自分だけでも限界があるのも事実です。
そんな時的確な指摘をもらうのはとてもありがたい事です。あっ、そうか!とひらめく事もあれば、また考える部分が増えるときも。そうしていつまでもこねくり回していると、そのうちその作品が面白くなく感じたりして自信喪失したり。。
産みの苦しみと言いますが、ほんまにそうだな、と思います。
で、作り上げたら作り上げたでいろいろ言われるので、それは次に活かすとして。なんせ終わりがないし、作品なんて、人の好き嫌いが関係してきたらもう、どこにも答えがない。自分を貫くしかない。。
ということで、一番苦労したのに一番評価が低かった作品が、こちら
『鬼丸の雨』
最新の作品が一番あかんという、ショックが大きい作品で、意気揚々と紙しばいの会で上演したのですがね、「現代の子の感覚はこうだから間違いではないが、私は好きじゃないかな」と年配の方には受け入れられない話のようでした。うぅ。
話の内容は
とある鬼の世界で、小鬼たちは7歳になるまでに雨を降らせなくてはなりません。バケツにたくさんの雲を集める事で、雨が降るのですが、優等生の主人公がどんなに雲を集めても雨が降りません。みんなが雨を降らせてる中、明日にはもう7歳になる。もしできなかったら、鬼ではいられなくなると言われ、、、、という話で、前半はまあ、よいのですが、後半がこう、ダメと。
後半は、優等生なので、最後の最後まで、一生懸命雲を集めるわけです。最後の一人になっても腐らず頑張ってるのに、もう、ダメ、、という時に、涙がこみ上げてきて、生まれて初めて声を出して泣いてしまいます。
その時、自分の雷よりも大きな声を聞いた雷の神様が怒ってやってくるのですが、小鬼が鬼ではいられなくなる、と聞いて、自分も何かしてあげたいと、雷の玉を一つ分けてくれます。すると、バケツから光が放たれます。その光のまぶしさに太陽の神様がどうした事かとやってきます。バケツを見て、「ふむふむそういうことか」と、太陽の神様が太陽の光の玉をバケツにぼちゃんと入れると、なんということでしょう。主人公は雨を降らせる事ができたのです。しかも、その雨は虹の雨だったのです。
という感じで、何が伝えたかったかと言うと、自分一人でめっちゃ頑張って、思い通りにならなくても、周りの人がちゃんと見てる、頑張っていたら助けてくれる人がいるんだよ、という事が言いたかったわけですが、「苦労もせず成功を手にいれるのはちょっと、、自分が克服して自立して手にいれるというストーリーの方がしっくりくる、これは好みの問題だけど」ということでした。それもわかります。でも、それだけじゃない、という事が言いたかったのですが、これは現代の人っぽいストーリー立てらしいです。
知らなかった。
万人に受け入れてもらいたいとは思っていないですが、でもやっぱりみんなに楽しんでもらえるようなお話が作りたい、という葛藤の中、作り直す事も考え、後半の話を変えようと思いましたが、やっぱり、これはこれで一作品、置いておく事にしました。
産みの苦しみと産んだ後の苦しみ?もあるもんですねぇ。