こんにちは、塾長の”nobi先生”です。
近頃、新規問い合わせの親御様だけでなく、のびてく生徒の保護者様からも「子育て」に関するご相談を受けることが増えております。世の中には数多の教育論や流行のサービスが乱立しているため、何が正しいのかが分からなくなってしまう(ことがある)ようです。子育てに一生懸命であればある程、「もっと良いものがあるんじゃないか…」「本当にこれで大丈夫なのか…」と悩みが生じてしまうお気持ちは良く分かります。
そんな悩みを抱えていらっしゃる親御様が他にも多数いらっしゃるのではないかと思い、相談会にてよくご説明する内容を掲載してみました。無料相談の前やブレそうになった時にでも読んで頂けますと幸いです。
「何を満たせば良いか」にフォーカスする
まずは「教育」を「食事」に置き換えて考えてみましょう。
身体の成長に必要なのは、五大栄養素と呼ばれる「炭水化物(糖質)」「脂質」「たんぱく質」「ビタミン」「ミネラル」であり、これらを過不足なく摂取するように努めることを『基本軸』に据えることができます。
あとは、実際に身長や体重がどう変化しているのか、体調はどうなのか、といった『状況』に合わせて分量、バランス、タイミングを調節していけば良いことです。
美味しく・楽しく食事ができており、しっかりと咀嚼・消化・吸収できていれば理想なのです。シンプルですが、これだけなのです。
世間でどんなに栄養価の高い食品が流行っていたとしても、同じ栄養素を重ねて過剰に摂取する必要はありませんし、一つの栄養素に偏っていてもダメ(不健康)な訳です。どんなに隣の芝が青く見えようとも、必要な要素(栄養)が満たされているかどうか、変な化学薬品などが含まれていないか、シンプルにそれだけを考えれば良いのです。
教育においては、「感性」「ことば」「思考力」という三大要素を順に満たすことに集中していただければ良いと思います。早すぎる最適化には注意して欲しいと思っております。(※詳細は後述いたします。)
その一方で、「状況に合わせて…調節」というのが、シンプルだけれど、実はすごく大切になってくる部分です。
配分、調節を上手くやるには、目の前の「お子様の様子」を客観的に見てあげることが欠かせません。感情を排除し、欲を捨て、世間の評価や理想を置いておき、「元々どうだったのか、1年前と比べてどうか、半年前と比べてどうか、1ヶ月前と比べてどうか、昨日と比べてどうか…」というように、現実のお子様の成長具合や健康状態をしっかりと経過を追って把握してあげること、これこそが大切なのです。実際のお子様の状況を見ず、これまでを振り返らず、ただただ「良いと言われるもの」を「なるべく沢山与える」。親が安心するために、このようにすることだけは避けて頂きたいと思います。
また、闇雲に状況把握しようとしても迷宮入りしてしまいますので、ここで「感性」「ことば」「思考力」という基軸を持っていることが効いてくる訳なのです。この基軸に照らし合わせて、今はどの段階にあるのか、どんな状況なのか、を見極めていけば良いのです。
以下、「感性」「ことば」「思考力」について、掘り下げた内容となっております。参考にして頂けますと幸いです。(※不要かと思い一度取り下げていたコラムですが、意外とニーズがあるようですので再掲致します。)
スローラーニングのメカニズムについて
スローラーニングでは、「感性」「ことば」「思考力」の3つの軸でお子様の成長を促していきます。
生徒一人一人の個性に合わせつつ、内から外へ連鎖するように導き、思考力や判断力などと言われる「自ら考える力」や、非認知能力とも言われる「楽しむ力」等を伸ばして行きます。先を急ぎ過ぎず、順序よく、大きくのびのびと育てていくことが大切です。
言葉の定義
- 【感性】:差異に気づく力
- 【ことば】:自由自在な言語化と映像化(記号接地)
- 【思考力】:ものごとの構造化と論理構築
このように定義しています。
それでは、この「3つの軸」の重要性や関係性について掘り下げてご説明して行きます。
【感性】:差異に気づく力
- 主に植物、生き物、自然現象、スポーツ、音楽などの観察(鑑賞)を通して、好奇心や感性(差異に気づく力)を養います。
- 当たり前と思い込まず、実際に自分で確かめるという感覚と習慣が、将来のクリティカルシンキング(批判的思考)のベースとなります。
- 従来の科目では「理科」の範囲に近いものです。
- リベラルアーツでは「自然科学」が相当いたします。
少し硬い話のように聞こえるかもしれませんが、まず「観察力」の重要性についてお話ししたいと思います。
湯川秀樹博士に続いて日本人2番目のノーベル賞を受賞し、素粒子物理学を中心とする理論物理学の研究に大きな業績を残した朝永振一郎博士(1906-1979)の著書「物理学とは何だろうか」の上巻の序章にある一節をご紹介します。
「われわれをとりかこむ自然界に生起するもろもろの現象ーーーただし主として無生物にかんするものーーーの奥に存在する法則を、観察事実に拠り所を求めつつ追求すること」これが物理学である、としておきましょう。
朝永振一郎博士(1906-1979)の著書「物理学とは何だろうか」より
このように記されています。
物理学という学問は、現在にいたるまで絶えず変化しており、将来も変化するに違いないから物理学を定義することは不可能ではありますが、おおよそのルールや守備範囲くらいは規定しておかねばならないということで、上記のように表現し定められたわけです。
ノーベル賞という高い到達点に至るにも、「自然観察から法則(真理)を導き出すことが学問なのです。」というように、目の前の小さな一歩を大切するところからのスタートなのです。
また、「そして、それは絶えず変化していくものなのです。」というように、科学はどんどん更新されていくものなので、しっかりと自分の目で見て、自分の頭で考えることが欠かせないのですね。
これらのことを私たちも大いに取り入れ、学びたいものです。
大事な幼少期だからこそ、楽しみながら(無生物に限らず)身近な植物、生き物、自然現象などを見て触って観察することで、感性を刺激し、疑問や推測力を膨らませて行きましょう。
【ことば】:自由自在な言語化と映像化
- 主に、子ども達自身が感じたことを題材とした、調べ学習やディスカッション(会話、対話)を通して、読解力(自由自在な言語化と映像化)と表現力を養います。
[言語化]:見たもの感じたものを言葉として豊かに表現すること。
[映像化]:読んだり聞いたりした言葉を頭の中でリアルに再現すること。 - 「感性」と「思考」を結ぶ大切な「ことば」を豊かに育んでいきます。
- 従来の科目では「国語」に近いものです。
- リベラルアーツでは「人文科学」が相当いたします。
ここでは「ことば」は成長に不可欠な酸素や栄養を全身に運んでくれる「血液」のようなもので、「ことば」が「感性」と「思考」を結ぶ大変重要な役割を果たしていることをお伝えしたいと思います。
まず、養老孟司さんの文章をご紹介します。
身体を動かすことと学習とは密接な関係があります。脳の中では入力と出力がセットになっていて、入力した情報から出力をすることが次の出力の変化に繋がっています。身近な例でいえば、歩けない赤ん坊が何度も転ぶうちに歩き方を憶える。出力の結果、つまり転ぶという経験えを経て、次の出力が変化す、ということを繰り返す。そのうちに転ばずに歩けるようになってくる。
養老孟司 「バカの壁 第5章 身体と学習」より
ここで言えるのは、基本的に人間は学習するロボットだ、ということ。それも外部出力を伴う学習である、ということです。「学習」というとどうしても、単に本を読むということのようなイメージがありますが、そうではない。出力を伴ってこそ学習になる。それは必ずしも身体そのものを動かさなくて、脳の中で入出力を繰り返しても良い。数学の問題を考えるというのは、こういう脳内での入出力の繰り返しになる。ところが、往々にし入力ばかりを意識して出力を忘れやすい。身体を忘れている、というのはそういうことです。
江戸時代は、脳中心の都市社会という点で非常に現在に似ています。江戸時代には、朱子学の後、陽明学が主流となった。陽明学というのは何かといえば、「知行合一(ちこうごういつ)」。すなわち、知ることと行うことが一致すべきだ、という考えです。しかしこれは、「知ったことが出力されないと意味がない」という意味だと思います。これが「文武両道」の本当の意味ではないか。文と武という別のものが並列していて、両方に習熟すべし、ということではない。両方がグルグル回らなくては意味がない、学んだことと行動とが互いに影響しあわなくてはいけない、ということだと思います。
赤ん坊でいえば、ハイハイを始めるところから学習のプログラムが動き始める。ハイハイをして動くと視覚入力が変わってくる。それによって自分の反応=出力も変わる。ハイハイで机の脚にぶつかりそうになり、避けることを憶える。また動くと視界が広がることがわかる。これを繰り返していくことが学習です。
この入出力の経験を積んでいくことが言葉を憶えるところに繋がってくる。そして次第にその入出力を脳の中のみで回すことも出来るようになる。脳の中でのみの抽象的思考の代表が数学や哲学です。
養老孟司 「バカの壁 第5章 文武両道」より
このように記されています。
脳や身体への入出力の経験を積んでいくことで「ことばを憶え」、それが「抽象的な思考」に繋がっていくということです。これは「学習そのもの」と言えるものです。
認知科学の世界では、「言葉の意味を真に理解するには身体的な感覚を持ってそれらを繋げる必要がある。」という概念があり、これを「記号接地」と呼びます。
大事な幼少期だからこそ、聞く覚えるといった入力学習ばかりにせず、入力と出力の両面からなる「会話・対話」を沢山経験させてあげることで、無理なく自然と「ことば(言語化・映像化)の力」が磨かれていきます。
時には、お気に入りの物語や大好きな音楽・歌詞の世界観について語り合ったり、脚本・絵・演劇が全て入った紙芝居を作ってみたり、写真にストーリーを付けてみたり、楽しみながら「ことば」に敏感になり、読解力や表現力を磨いて行きましょう。
【思考力】:ものごとの構造化と論理構築
- 主に、自然現象や生物のメカニズム、国際社会の仕組みや制度の設計、歴史の考察などを通して、論理的思考力や批判的思考力を養います。
- 算数を通して論理構築の道具を手に入れつつ、同時に論理思考の訓練も行います。
- 情報を集め、論理的かつ構造的に整理整頓し、そこから原理原則や関係性を導き出すことを意識します。時には前提条件から疑います。
- 従来の科目では「算数」、最近ではデータサイエンスなども近いものですが、そういった枠には収まりきらないものです。
- リベラルアーツでは「社会科学」が相当いたします。
思考力の一つに、因果関係を解明する力があります。
例えば、2021年にノーベル物理学賞を受賞されたのは ・米プリンストン大学の真鍋淑郎上席研究員(90) ・独マックスプランク研究所のクラウス・ハッセルマン氏(89) ・ローマ・ラ・サピエンツァ大学のジョルジオ・パリージ氏(73) の3名で、受賞理由は「地球温暖化の予測のための気候変動モデルの開発」です。
真鍋氏は、シミュレーションを使って地球に関する物理モデルを開発し、気候の成り立ちと変動を解明した。また二酸化炭素(CO2)の増加に伴う地球温暖化につながる基礎を確立。大気中のCO2の濃度上昇が地球表面の温度上昇につながることを実証した。
地球温暖化と二酸化炭素(CO2)の因果関係を立証した訳ですね。
科学では観察から始まり、仮説を立て、立証するという手順を踏む訳ですが、そのプロセスにおいて注意すべきは「情報収集」です。
自分にとって都合の良い偏ったデータ(情報)だけを採用することは科学ではなく、単なる捏造にしか過ぎません。仮に自分の予想と反していたとしても、客観的に事実を事実として収集していくことが重要であり、それが理論の信頼性につながるのです。
ところが、人間には先入観(無意識下での思い込み)というものが邪魔をしてしまうのです。
新たな気づきや発見をするためにも、まだ先入観を持たない幼少期に、正しい情報収集を行い、「観察に拠り所を求めつつ自然の法則を追求する」という実証精神に触れてほしいと思います。
幼少期に算数の解法を丸暗記することに意味はありませんが、算数の問題を通して客観的な事実を整理し、構造化していくプロセスを学ぶことは非常に有効であり、将来のあらゆる思考の基盤となってくれます。
また、これを訓練することで、将来「分からないもの(難解なもの)」に対峙したとき、逃げてしまうのではなく、自分の持てるものをフル活用し挑戦するマインドが生まれてきます。徐々に紐解き、「分からない」が「分かった」に変わった瞬間は本当に気持ち良いものです。
「分からない」から「分かる」までのプロセスを楽しむことができれば、どんな分野のどんなものでも主体的に好きになれますし、何でも楽しめる才能を手に入れたようなものですね。
早すぎる最適化について
繰り返しになりますが、このように「鋭い感性で問題を発見し、豊かなことばを用いて、先入観なく思考し、問題を解決していく。」ということを実現するために重要なのは「中心から外側に向かって順序よく連鎖するように育てていく」ということです。(※感性、ことば、思考は連動していますので、段階に応じて「重み付け」を変化させていきます。)
中心が育っておらずスカスカな状態で知識だけを詰め込んだり、大人のような完成形を早期に目指していくと、必ずどこかで伸び悩み(停滞、頭打ち)やバーンアウト(燃え尽き症候群)が起こってしまうので注意が必要です。
当コラムでは度々紹介させて頂いておりますが、陸上400mハードルメダリストの為末さんは「早すぎる最適化」として、以前から問題提起されていらっしゃいます。
陸上に限らず教育全般に当てはまる事柄ですので、是非一度ご覧いただければきっと参考になると思います!
https://youtu.be/ODebTRslR8A?si=uL2QvDWFAg_exIm7
それでは今回はここまで。